二流の愉しみ

美しく気品あふれるシルバーペルシャとの優雅には程遠い同居生活

2011年03月

役行者霊蹟札所展法話「文覚上人と蔵王権現」@奈良まほろば館

7日目の法話は、法楽寺住職の小松庸祐師。
でも、地震の影響で電車も止まっているし中止になるだろうと思っていたら、
小松師は新幹線に乗って、お越し下さるとのこと。

行くかどうしようか迷ったけれども、電車の影響で参加できる人は少ないだろうから、
問題なく行ける私は参加すべきだろうと出かけましたが案の定、参加者はまばらでした。

お寺の学芸員の方も一緒にいらしていて、蔵王権現立像や葛飾北斎が書いた
文覚上人の荒行の絵など、宝物を見せていただくことができました。

特に印象に残っているのは・・・以前の日本では、戦いに負けたほうの死者も
勝った方の死者と同じく、お祀りしたというお話。考え方、立場は違っていても
同じように鎮護、国を護るために命をかけた人たちだから。
敵であっても、お祭りする。

それが崩れたのが、西南戦争。官軍の戦死者しか祭られなかった。
そしてそのことが靖国神社に尾を引いている、と。

日本人として知っておくべき大事なことだと思いますが、私は知りませんでした。
知らないのはワタシくらいでしょうか。。。
色々なことを考えました。

みなさまは、ご無事でしょうか?

ワタシは無事に帰宅しました。
猫も無事だったし、家の中も細かいものがぐちゃぐちゃに散乱してますが
壊れたものはないし、電気ガス水道も問題ありません。

地震の時は職場にいましたが、あまり揺れないはずの建物が
ものすごく揺れたのでとてもとても怖かったです。

うちの猫たちも恐怖のあまり、失語症(?)になってます。
うんとも、すんとも、言いません。


テレビを見ていると・・・甚大な被害を伝えるニュースばかり。
これ以上の被害が出ないことを祈るばかりです。

役行者霊蹟札所展法話「役行者と蔵王権現」@奈良まほろば館

奈良まほろば館では、8日間に渡って役行者の講座を開催しています。
2日目は、金峯山寺の田中利典執行長による「役行者と蔵王権現」。

内容の濃い90分でしたが途中、掛け念仏「懺悔懺悔、六根清浄」を皆で唱えました。
大峯奥駈修行に興味はあれども、自分には縁のないものと思っていたので
まさかお江戸日本橋で「ろっこんしょうじょう~」なんて声を出す日が来るなんて。
たのしかったです。

お寺さんのご厚意で、お守りを頂きました。大事にします。

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「蝶々さん」@シアター1010

ワタシは蝶々夫人とかミス・サイゴンとか好きではないのですが(音楽の魅力は認めるけど)
島田さんの歌と、荻田センセの演出に惹かれて、観に行ってしまいました。

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歌穂さんの歌は素晴らしいけど、ちょっと物足りない。
なぜなら、ヒロインの歌がないから。
もちろん、歌穂さんは何曲も歌うし、美しい歌ばかりなのだけど
ヒロインの歌じゃない。背景みたい。
歌い終わっても拍手が起きない。。。
起きないというより、拍手できないんだな。
場面の繋ぎの歌みたいで。

でも、丁寧な作りだし、剣さんの語りで蝶々さんの人生が浮かび上がり、
蝶々さんがどういう女性だったのか、よく伝わる舞台でした。



蝶々さん:島田歌穂
コレル夫人:剣 幸
アービン宣教師:戸井勝海
書生(木原君):海宝直人

コーラス:
横関咲栄 鈴木 聡 谷えりか 島田邦人 竹内晶美 桝本和久

原作:市川森一
音楽:島 健
台本・作詞:忠の仁
演出:荻田浩一

プッチーニがなぜ、日本人をヒロインにしたオペラを書こうとしたか、ご存知ですか?

明治中期、宣教師の夫と共に長崎へ赴任して来たコレル夫人が出逢った
「お蝶」という名の少女の悲劇を、アメリカ帰国後、彼女が弟のジョンに語り、
それを彼が「マダム・バタフライ」という短編小説にしたことに端を発します。

その後、小説が大評判となり、ブロードウェイで劇化され、やがて海を渡ってロンドンで
上演された舞台をプッチーニが目にし、話に感激した彼がオペラ制作を思い立ったという次第。
しかし、それは異国情緒に溢れ、東洋人への蔑視と偏見に彩られたものとなってしまいました。

ミュージカル「蝶々さん」は、コレル夫人の目を通し、
悲劇の少女の真実の姿を現代に浮かび上がらせます。

江戸糸あやつり人形座「火垂るの墓」座・高円寺

子供のころ、親からもらう誕生日プレゼントはいつも本でした。
小学校3、4年だったかな、「火垂るの墓」を貰ったのは。
貰った本は何度も読み返すのですが、「火垂るの墓」は一度切りでした。
つらくてつらくて、二度は読めなかった。あの時の息苦しさは今でも覚えてる。
だから、ジブリのアニメも見ていない。

それなのに「火垂るの墓」を観に行こうと思ったのは、一つには大人になり、
図々しく鈍くなった今なら、というか今こそ観た方がいいのかなと思ったことと、
人形と人間で芝居をしたらどんなふうなのか興味があったから。

幼いころの春琴を人形が演じ、大人になると深津絵里が演じるという
サイモン・マクバーニーの「春琴」を以前に観たことがあるのですが、
それが非常に心に残っていました。人形であるからこその表現があって。

今回の江戸糸あやつり人形座の「火垂るの墓」では、お兄ちゃんが俳優で、
節ちゃんが人形でした。他の配役も人間と人形が混じっています。

慣れないと、人形と人間が一緒に芝居をするのに違和感を感じるかもしれないけれど
ワタシは節ちゃんが人形で、良かったと思います。この話の輪郭がはっきり見えてくるようで。

話は淡々と進み、感情に訴えて涙ぼろぼろ、そしてカタルシスを得る、というような
感傷的な作りではなくどちらかと言えば、乾いた作劇です。秦琴の音色も。
そのせいなのか、観ているときは戦争の悲劇に思いを馳せていたのに、
一日二日経つとなぜか今生きている現代に繋がり、とりとめなく考えてしまいました。

それから、節ちゃんの人形と、西宮のおばさんの人形の動きが、際立って見えました。


原作:野坂昭如
脚本:今井裕三
演出:山下悟
出演:結城一糸 結城民子 塩川京子 田中敬太 田中空 渡辺映子 鎌田翔平 加藤まゆ美 関泰 子 金子展尚 三津谷葉子
秦琴演奏:深草アキ
美術:上田淳子
音楽:深草アキ
照明:沖野隆一

今回の「火垂るの墓」は、アニメでも人間の芝居でもなく、人間と人形による芝居である。
なぜ、人間と人形の芝居なのか、それはひとえに野坂昭如氏の読点で列なる文体、
イヤ、読点というよりむしろ接続点が連綿とつづく奇妙な生成の文体であり、それは惨たらしい現実から決して目を背けない力強い文体である。
この手ごわい言葉の群れを演劇化するには既存の芝居の形式では不十分であろうと思われる。
人間の空間でもない、人形の空間でもない、生者の声と死者たちの声が交差し立ち上がる磁場、それが現と人形の混在する不可思議な第三の空間である。
現実と夢の間隙に仄かに現れる世界。仲の良い人間の兄 清太 と 人形の妹 節子 の 幼い二人が大人たちに翻弄され、戦争という大きな濁流の中に呑み込まれていく。
清太の背中に負られ眠りこける節子。無邪気に蛍を追いかける節子と清太。
荼毘に付された節子が無数の蛍と昇天してゆく。人形と人間の織りなす新たな野坂ワールド。


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